21 May 2011

気仙沼 レポート



グタグタ能書き足れてキレイ事ばかり言って何もしないのは性に合わないので
18日の早朝より津波で被害のあった宮城県気仙沼市に行って来た。(メンバーは池上祐樹、中村祐子、添田ひとみ)
外部からの情報にはいつも鍵と枠があり、そのビジュアルに脳みそが矯正させられ違和感がある。
なのでボランティア活動をしつつ実際に自分の目で360°パノラマとして脳みそに焼き付けてたく現地へ向かった。
そして何しろ岩手生まれ秋田育ちの自分はこの手で東北の復興に手を貸したいという思いもあった。

しかし実際に目の前に広がった街の姿はあまりにも壮絶過ぎて自分の考えの甘さを痛感させられた。
街の瓦礫は脇へ寄せられ、かろうじて道が出来てはいたものの間違い探しのような、、、
或はエッシャーの絵のような光景は矯正された脳を異次元へと連れて行った。
そんな思いをしつつ港を回りボランティアセンターへ登録をすべく向かった。
軽く流れを聞き翌日に備える為宿へと向かう。その途中も倒壊した家屋を横目に物思いにふける。
翌日朝も早いと言う事でその日は早めの就寝。しかし色々考え眠れない。。。

19日朝9:00ボランティアセンターでその日の仕事の割り振りをうける。
自分達は200坪ある個人宅へ瓦礫の除去作業と浸水した家の中の清掃。総勢13名で向かう。
ボランティアの方々は色々なとこから来ていて奈良、愛知、神奈川、遠くはイランに駐在されてるご夫婦が有給休暇を取り
来ていた。作業は屋内と屋外に分かれる事に。まぁ多少体力にも自身があるため外での作業を志願。
粉塵用マスク、粉塵用メガネ、厚めのゴム手袋、頑丈な靴、長袖シャツに,帽子と言う全身を覆うナリで作業開始。
ここで気を付けなければいけない事は水分補給と破傷風。
特にセンターは破傷風にはナーバスでほんのわずかな傷でも報告するよう言われた。

津波で流され庭にたまった瓦礫やゴミの撤去。既にこの時には破傷風や熱さではない別の敵の存在を感じる。
『異臭』こればかりは体力とは関係ない。作業が進むにつれてこの敵の攻撃は半端じゃない。
実はこの街は今この異臭(悪臭)に悩まされている。少し風向きが変わると途端に街中がこの異臭(悪臭)に包まれる。
この街は海産加工業が盛んで数多くの工場が港に建っていたらしいが津波で殆どが壊滅。
その海産物が街のあらゆる所に流され腐敗しその死臭が街を被っている。
もちろんハッキリとは書かないがきっと『あの』臭いも混ざっている。
この臭いが無ければもっとはかどるのだが。。。。瓦礫を一つ寄せ二つ寄せしていると手には何とも言えない感触。
引きずり出すと途端に異臭。腐った魚で有ったり流れ着いた海産加工物が腐敗しガスを発生させてるもの等が出てくる。
そんなこんなを繰り返し午前の作業終了!もちろん食欲無し。体中に臭いが付着。。。
臭いは記憶の鍵と言うがこの鍵は遠慮したい。。。。。が、もう既にどの素敵な鍵よりもこの鍵は強烈な記憶の来訪者と成った。
午後、慣れとは恐ろしいもので多少その臭いにも我慢が出来、黙々と作業をこなす。
電気が通ってないため暗く成っての作業は無理と言うのもあり、明るいうちに有る程度の目処を付けたいので
午後は完璧に庭の瓦礫を撤去する事に集中。しかし出て来る出てくる。。。。。。。
素晴らしい程の進み具合と手際の良さに他のボランティアから職人の方ですかと言われた。
そして作業終了!草臥れてはいたが達成感と充実感あり!
その日も翌日早いため早めの就寝。

20日9:00にセンターへ前日の作業も引き継ぎたかったが色々な人の声を聞きたく別の作業を割り振ってもらう事に。

この日はメンバー4人で南町の鈴木さん宅へ。この日のリーダーはユッコ。一人でお住まいの鈴木さん宅は少し高台に有るお住まいだが一階は1m位浸水していた。
既に一度ボランティアの方々が泥の掻き出し作業をしているお宅だがまだまだ終わりが無い。
この日の作業は台所の清掃と仏間や床の間などの清掃など。水で開かなくなったタンスの解体等もした。
午前中作業が終わり311にこの辺の方々が避難したホテルに食事へ。被災者の方々用に食事がワンコインで用意されていた。
このホテルは高台に有りこの辺の港が一望出来た。
多分この動画はまさしくこの辺のものだろう。
鈴木さん曰く「この辺の地震はたいした事がないのよ。津波がね〜〜ぇ」と。でも玄関先にはもう一段上のお宅から折れて落ちてきた電信柱が。。。。そんな事も忘れるぐらい津波が恐怖だったのだろう。

この日はさほど異臭もなく作業がはかどる。壊れた家具や不要になったものは窓から捨ててとの事。
捨てようと下を見た所車が三台転がっていた。。。。。そしてふと思った。この量の瓦礫やゴミはどのように片付けるのだろうか。そして
この方々達は又もとの生活に戻れるのだろうか。。。聞く所によると家の修繕費は一軒につき取り急ぎ52万円支払われる。それ以上は個人負担。しかしこの52万円は被災者に渡されるのではなく県が直接業者に渡すらしい。
なので業者は見積もりをどうにでも作れる。と言うのは業者にコネが有れば材料代だけでかなりの事が出来、そうでない家は畳入れるぐらいで終わりそう。そんな事が無い事を願う。そんな話しをしつつ仏壇や家具を配置し終了!このお宅には大正時代のミシンや50年ぐらい前のオルガンが有りそれらを貰う事に。今回は持って帰れない為又お宅へ伺う事を約束しお別れ。最後迄ありがとうと手を振ってくれた鈴木さんに力一杯手を振った。


まだまだ終わっていない震災。人の手はもっともっと必要と感じた。夏又行こうと思う。

そしてやはりやるべき事を見つけたので又近々書きます。皆手を貸しくれ!よろしく!

ボランティアの作業中は被災者に配慮し写真を撮ってません。

3 comments:

  1. ヤマちゃん、ありがとう。
    行ってくれたからこそ僕もこのことを知ることが出来ました。
    ご苦労様でした。

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  2. 知念さん、気仙沼お始め東北は本当に良い所です!奇麗な所も沢山有り
    今の時期の新緑にはなんか自然の力を貰える気がします。

    是非あの車で東北の被災地を走ってほしいですね!皆微笑むはずです。

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  3. ヤマちゃん、そのアイディア怖い!!

    皆さんが笑っている絵と「こんなときにふざけたヤツ!」っていう両方が聴こえて怖い。


    でも、、、、東北まで持っていくのに幾らかかるかなぁ…

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